<芳村思風 感性論哲学ホームページ>
芳村思風・感性論哲学の世界
「この命、何のために使うか」
感性論哲学は、50数年前に哲学者・芳村思風が確立した
「感性」を原理とする
独創的な哲学です。

思風塾は、感性論哲学を学び、仕事や生活に活かすための
全国の勉強会です。
ぜひライブで講演を聞いてみてください。
 
 出会いが人生を変える   
思風会 事務局
福島 康司
 

「降りかかる苦難の中に使命あり」

 

2002年4月、この一言との出会いで、人生が変わりました

42歳のとき、 いろいろとあって、3ヶ月間、

引きこもりのような昼夜逆転の生活が続いていた。

そんなとき2年前から誘われていたが、

興味がなくて拒否していたセミナーに参加した。

 

感性論哲学の芳村思風先生の講演会。

哲学なんて興味ない。

仕事にも関係ないし、生活にも必要ない。

今は、それどころじゃない

・・・ 大阪に住んでいたので、

東京まで高い交通費かけて、

どうして哲学の講演会なんかに行かなきゃならないのか。

そんな感じだった。


仕事をやめて、何もしていなかった。
半強制的?無理やり?に近かった。

勉強会は、2日間。
土曜の1時から8時までと日曜の9時から12時まで。
2日間で、10時間。

最初の講義。

淡々といた口調、

パフォーマンスもなく、板書などもなく、動きもない。
一方的に先生が話し、聞いているだけ。

寝てしまった!

2時間の講演の内1時間45分、熟睡



居眠りから目覚めたとき、

「変らなくてもいい、成長すればいい」

そんな言葉が入ってきた。

 

元気な時なら、聞き流していた言葉だと思う。

今の自分が嫌で

変わりたい、変わりたいと思っていたときだったからこそ、

この言葉が響いてきたのかもしれない


その言葉以外にも「!」な言葉がたくさんあった。

「問題は、あなたを成長させるためにある」

これが哲学?

哲学ってなんなんだ?

大阪までの帰りの新幹線で、

ちょっと勉強してみようか


そう思って本を購入。

サインお願いした。

 

サインペンを持った先生の動きが止まった。
5分くらいだろうか、机をはさんでにらめっこ状態。
先生は、私の目をじっと見つめられたまま動かない。


後日なぜすぐにサインされなかったのかを聞いたら、

「顔を見て何かを感じた、

言葉が浮かんでくるのを待っていたんです」

とのことだった。


書かれた言葉は、

「降りかかる苦難の道に使命あり」

その言葉を見たとき、意味もわからず涙が止まらなかった。

 

そのまま、新幹線で大阪へ帰った

そのままその日の夜は、大阪での勉強会へ参加。

 

大阪の勉強会の主催者の方から

「サムシンググレート・シンポジウム」という

筑波大学の村上和雄教授と行徳哲男先生と

芳村思風先生の3人の講演会の第1回目を

大阪で開くので、手伝ってほしいと依頼された。


開催は、6月2日、大阪国際会議場 1000名の会場が手配されていた


1回目の打ち合わせが、4月末。

単純に人集めのお手伝いかと思い、引き受けた。

打合せの会場に行って驚いた。
実行委員会のメンバーは、私を入れて3人だけ。

会場手配しただけで、チラシも何も準備されていない状態。
1か月しかない。連休もある。

進行の企画を含めて、すべてお任せしますという。

以前勤めていた会社で、毎年1000名以上の式典や
勉強会を企画主催する仕事もしていたけど、
「このメンバーだけで、1か月で、できるのか?」


私以外他のメンバーは、会社の社長
実行委員会のメンバー集めからスタート、
しかも時間がない

講師は、村上先生が「生命の暗号」を言う本を出版されてはいるが、
行徳哲男先生も、芳村思風先生も「知る人ぞ知る」という存在。

いろりろな経営者の勉強会にアプローチし、
一緒にやってくれる人を集めることから始めた。

決まっているのは、講師の先生だけ。

案内のチラシやポスターの製作

当日の流れ、司会、会場のボランティアのスタッフ集め

今のようにSNSがない時代

 

 

 

 

開催当日は、眠れず開場は13:00~なのに、

始発電車で会場へ行った。

損益分岐点は、900名
事前の申し込みは、 800名程度

どれだけ当日参加があるか。人数は読めなかった

12:00 開場前に人が集まり始めた
時間を早めて開場する。

誘導しなくても、前方の席から人が埋まっていく
900席用意していた椅子の追加。

最終的には、、1,350名の参加者。

 

終了後、3人の先生が、片づけをしているところに来て、

「おかげさまで、たくさんの人に参加いただき、
うれしかったです」と
スタッフみんなにお礼を言って回られていた。

 

それから1年間、東京と大阪の勉強会に毎月参加。
「サムシンググレート・シンポジウム」もそのあと
福岡・沖縄・横浜と3回開催。
すべての会場で、プロディーサーとして準備から開催まで
関わらせていただき、大変なことや問題もいっぱいあったけど、
面白い体験・不思議な体験もたくさんあった。

沖縄は、会の翌日、台風で飛行機が飛ばない

先生方も帰れず、1泊追加。


台風の中、急きょボランティアで手伝ってくれた学生を集めて
懇親会の開催。


大雨と強風の中、ずぶぬれになってみんなが集まって、
大騒ぎした。

 

・福岡では、村上和雄先生が

「いつも料亭ばかりなので、中洲の屋台に行ってみたい」

ということで、
3人の先生と地元の主催者の方で、
並んで屋台を貸し切ってでラーメンを食べながら大騒ぎ。

屋台のラーメン屋さんで
「ナイト・サイエンス」(ちょっとえっちな話)を
科学者の村上先生が語り続け、

そのままホテル移動し
「ミッドナイト・サイエンス」
が一番面白いんですと
普段絶対に聞けない裏話を聞かせていただきました。

 
芳村思風先生の講演の中の言葉で
一番動かされたのは、この言葉でした。

「変わらなくていい。成長すればいい。」

自分を変えたいと変えたい、と思い続けていた。
自分を否定していた。
こんな自分ではだめだと思っていた。

「人間は不完全です。欠点があってもいい。
短所があってもいい。 欠点や短所はなくならない。」

「欠点や短所は、なくさなくてもいい。
どんな人間でも、長所半分短所半分」

「そのままでいい」ということは、今の自分を認めること。
受け入れること。
何もしなくていいということではない。
成長すること、努力しなくてもいいということではない。

次から次へと、自分の中で疑問がとけ、いろいろなことがつながっていった。
講義ノートは、1年で10冊を超えていた。

「先生の言葉でカレンダーを作りたい。」

自分と同じように、たったひと言がキッカケになる人がいるかもしれない。

「哲学」という言葉だけで、「自分には関係ない」「興味ない」と思っている人に、
一人でも多くの人に「感性論哲学」「芳村思風先生」を知ってもらいたい。

講演録や書籍でも、とっつきにくい。難しい。
哲学という言葉や感性論哲学という言葉を一切出さずにカレンダーを作ろう、
と思った。

先生に話すと、
「言葉だけなら、誰が作っても一緒です。
君にしか作れないものを作ってください。」

考え込んでいると、先生から一言。

「絵を描いてみたらどうですか?」

言葉は、31すぐに選べた。

絵なんて、中学校以来、描いたことなんてなかった。

しかも美術の成績は5段階の1~2

それから1年。毎日絵を描き続けた。

でも31枚も絵は、描けない。

1年悩み続けた。

やっぱり描けない。

絵なんて描けない。

1年後、先生に相談した。
「先生、1年やってみましたが、絵が描けません。
絵なしで、言葉だけでカレンダーを作らせてください」

「今あきらめてはダメです。逃げてはいけません。
本当に一所懸命やったのなら、あともう少しがんばってください。
他からも同じような話がありますが、ぜんぶ断っています。
いつまでも待っていますから」
といつもと違う強い口調で言われた。

 

仕事が終わってから、家に帰って毎日遅くまで絵を描いていた。
でもやっぱり31枚も描けない。

そんなことがあってから1週間後。

外出から帰ってきて、ポストを見た。
マンションの集合ポスト。
2つ上の階のポストにどこかで見たようなイラストが入った名刺が貼ってある。

2年前、初めて参加した芳村思風先生の勉強会の帰り、
東京駅の本屋で買った本の挿絵と一緒だ。

そういえば2~3日前、友人がくれた
『たいせつなこと』(松下幸之助著・php刊)の挿絵のイラストと同じだ。

4階に住んでいたのは、その本のイラストレーターの先生だった。
部屋に帰って、名刺にあった電話番号に連絡した。

すぐに「お会いしましょう」と2階上から降りてきてくれた。

お話ししているうち、

「実は、イラストの仕事とは別にこんな絵の描き方を広げたいと思っているんです。」

と画材を取り出された。

それが「パステルシャインアート」という
パステルを粉にして、指で描く絵だった。

やってみたら、おもしろかった。
やってみたら、自分にも絵が描けた。

これなら31枚描ける!そう感じた。
やってみたら、どんどん工夫がわいてきた。

後で考えると、  
芳村思風先生の「天分発見の5つの方法

ぴったりとあてはまったのです。

休みの日は、朝から晩まで描きつづけた。
毎日仕事が終わってから、夜から明け方まで絵を描いていた。
  3ヶ月で、「芳村思風 日めくりカレンダー」ができた。

印刷は個人でやる。
そう決めていた。
印刷屋さんにも持ちこんだら、個人で、初めての取引なので、
代金全額前払いの条件。
2,000冊。
200万円以上かかる。

売れないなんて考えなかった。
「売れなきゃ、みんなにプレゼントしたらいい」。
借金もなんとかなるだろう。

出来上がったとき、一番喜んでくれたのは、芳村思風先生だった。

大阪から、岡山から、岐阜から・・・
全国各地から毎日違った場所から注文のFAXが入る。
前日先生がどこで講演されたかがFAXの送り先でわかる。

先生が講演先でカレンダーの宣伝をしてくれていた。
友人が電話で教えてくれた。
「私の言葉でカレンダーを作ってくれました。」
と先生が、うれしそうに説明していたよ。

おかげで初版の2,000冊は、1ヶ月で完売。
ある飲食店では、お店の全テーブルに置いてくれた。

すぐに追加1,000冊。
売れたお金で借金を返済したので、手持ちの現金では、足りなかった
割高になるけど 1,000冊しか作れなかった。

10月に発売し、計3000冊は、年末には無くなりそうになっていた。


年が明けて、大口の注文をいただいた
なんと2,000部。

なんと注文してくれたのは、稲盛さんの勉強会を主催していた方だった。

「稲盛さんの言葉でなくていいのですか?」と尋ねた

「稲盛さんの言っていることと言葉は違うけど、

根っこは、芳村思風先生の言葉と同じなんです。」

 

半年で計5,000部が完売。

 

プレゼントされた方がまた、プレゼント用に買ってくれたりした。

「トイレや受付に置いたカレンダーを見たお客様が10冊も買ってくれましたよ」
と、喫茶店のオーナーからの電話もあった。

 

「社長の机に置いてあるカレンダーを毎日めくるのが楽しみなんです。

私の部屋に置きたいのと友人居プレゼントしたいので5冊ください」

と、先生の話を一度も聞いたことがない秘書の方からの注文


カレンダーを見て絵の注文まで、いただくようになった。

それまで勉強していたカラーセラピーとこの絵の描き方が、
ぴったり来て、アートセラピーの仕事まで、依頼が増えるようになり、
産業カウンセラー協会やNHKの文化センターで講座もさせていただいた。

今は、絵を描くこと、絵の描き方を教えることや
アートセラピーも仕事になった。

 

初対面のとき、本にサインしていただいたかなかったら・・・。
1年悩んだとき、「言葉だけでもいいですよ」と言われていたら・・・、
今の仕事をしていなかった。

カレンダーの言葉は、自分自身が実感として体験させていただいたものばかりです。

「出会いが人生を作る。人との出会い。本との出会い。出来事との出会い。」

「天分素質の5つの発見方法」

「変わらなくていい、成長すればいい」

「最高の出会いは、自分を最も輝かせてくれる人との出会いです。」

「自分が決断し、選び取ったもの以外を捨て去ることができたとき、
母なる宇宙がサポートしてくれる。」


  
 芳村思風
感性論哲学創始者
 
 
思風庵哲学研究所
(思風会 事務局)
 
335-0004 
蕨市中央1-35-6-404
福島康司

ありがとうございます
日めくりカレンダー
完売しました
 
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