感性論哲学は、単なる学問ではない。
実践の哲学である。
希望と勇気を与えてくれる力の哲学である。
日本BE研究所 所長 行徳哲男氏
45年前、昭和51年12月4日
渋谷大盛堂で出会った1冊の本が私を変えてくれた。
「感性論哲学の世界」という本だ。
森信三師の言葉に
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」
がある。
さらにこの言葉には、続きがある。
「縁は求めざるには生ぜず。
内に求める心なくんば、
たとえその人の面前にありとも、
ついに縁は生ずるに到らずと知るべし。」
当時私は、煩悶・憎悪・敵意の真っただ中に職場があり、
悶々の日々だった。
その時に出会った本が
芳村思風先生の「感性論哲学の世界」だった。
「考え方ではなく、感じ方が人間を決定する」
という言葉が目に飛び込んできた。
イデオロギーではなく、感じ方こそが人間を決める。
この教えこそが、私の煩悶苦しみを救う最強の哲学になった。
この本が私のバイブルとなった。
「感性の復権が、命の復権」というこの哲学に魅了された。
血の通わない哲学はすでに見せかけの哲学である。
「感性論哲学の世界」は、
それまで哲学と無縁の中で生きた私に、
哲学とは、こんなに身近なものだったのか、
しかもこんなに実践的実証的なものだったのか
と思い知らせてくれた。
以来私は、
「哲学は学ぶべきものにあらず。
哲学することを学ぶべし」
を座右の銘としている。
そして、何よりも私が感じたのは、
芳村思風先生の素朴・愚拙の人柄である。
思風先生には、哲学者臭さがない。
哲学者臭さがあるのは、本物ではない。
思風先生のまなざしには、
なんともいえない「深い愛」がある。
現代人は、広さばかりを求めすぎる。
人間で大事なことは、広さではなく、深さだ。
深さがあるから、ゆったりとながれている。
多くを語るわけでもない。
世の中がどんどん薄っぺらくなってきている中にあって、
正反対の「厚み」がある。
重厚感がある。
格調高さがある。
思風先生の教えは、いぶし銀だ。
華やかさはない。
きらびやかさもない。
哲学に縁のなかった私を導いてくれて、
力の哲学を与えてくれた。
おかげで50年間、
私独自のBE訓練の仕事を続けることができた。
感性論哲学は、人類を救う究極の哲学である。
思風先生が開かれた道を一緒につき進もうと願うは切。